1989年11月10日
激動の歴史が動いた日
東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされた東ドイツ政府が旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令を発表したことを受け、その日の夜にベルリン市民が殺到し混乱の中で国境検問所が開放され、この日の朝にベルリンの壁の撤去作業が始まった。これにより、東西ベルリンが遮断されてきた東西分断の歴史は終結に向かい、この事件を皮切りに東欧諸国では社会主義政権が続々と倒されていくことになった。
同日、ブルガリアでは共産党書記長のトドル・ジフコフが失脚した。これを機にブルガリアでも民主化が始まり、一党独裁の放棄を余儀なくされた結果、民主化へと向かうことになった。
また、福岡拘置所で1名の死刑が執行された。この後、国際連合が死刑撤廃を掲げた国際規約の第2選択議定書を採択した影響もあり、数年間にわたって日本国内で死刑が全く執行されない期間が生じることになった。
出典
- 日本語版Wikipedia「1989年」(CC BY-SA 4.0) https://ja.wikipedia.org/wiki/1989年
- 日本語版Wikipedia「ベルリンの壁崩壊」(CC BY-SA 4.0) https://ja.wikipedia.org/wiki/ベルリンの壁崩壊
- 日本語版Wikipedia「ブルガリア人民共和国」(CC BY-SA 4.0) https://ja.wikipedia.org/wiki/ブルガリア人民共和国
- 日本語版Wikipedia「1989年の日本」(CC BY-SA 4.0) https://ja.wikipedia.org/wiki/1989年の日本
- 日本語版Wikipedia「福岡拘置所」(CC BY-SA 4.0) https://ja.wikipedia.org/wiki/福岡拘置所
- 日本語版Wikipedia「日本における被死刑執行者の一覧」(CC BY-SA 4.0) https://ja.wikipedia.org/wiki/日本における被死刑執行者の一覧